冬休み前の生徒指導の話 ~おみやげ編~
冬休みが早くも1週間経過しました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。残り半分と考えると気が滅入りますね。実践レポートや主題研の報告書も仕上げないといけないし…軽い現実逃避も兼ねながら、2学期の終業式で話した内容を振り返っておこうと思います。
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家は汚いが学校の片づけを進める。
年度末です。教室や特別教室などの片づけをコツコツ進めています。
家は本が散乱し散らかった状態ではあるが学校の片づけは順調に進んでいます。
家では片付けができないのに、外ではそこそこ頑張ることができる。なぜでしょう。
とりあえず今日一日で教室と更衣室の片づけ、PC内のデータ整理までを終わらせることができました。
明日からは職員室の自分の席回りの片づけを行います。
集めるだけ集めた資料も整理していかなければ来年度がわけわからなくなってしまいます。
来年度の学年もぼちぼち予測できそうな感じになってきたので新年度に向けてその辺の作業もできればいいかなーと思っています。
金曜日は仕事に行かなくてすむとうれしいなー。
お題スロット「生きたい場所」 ~もしくは、この世界の「救い」について~
「今一番行きたい場所は?」と聞かれたら、ここしかない。間違いなくライブハウスである。
仕事を始めてからライブを見に行く機会が圧倒的に減った。昔は週に1本はライブを見に行っていた。ここで言っておくが、自分はいわゆる「インディーズバンド」が好きである。もちろん有名なバンドもある程度は聞くし、今聞いているインディーズバンドにも売れてほしいと思う。しかし、自分の心に響く曲を歌っているのはどうもインディーズバンドに多い。それはなぜか。自分が「焦燥感」や「救い」といったテーマの曲が好きなところにある。
売れたバンドのすべてが悪いとは言わない。RADやらWANIMAやらも自分は好きだ。でもそれらはどこか嗜好品的な感覚である。それらがあると嬉しいし楽しいけど、それらがなくても多分生きるのには困らない。
自分が唯一、一生聞き続けるだろうと思っているバンドがいる。それでも世界が続くなら。彼らの音楽は「救い」で溢れている。
これまで自分が経験した苦労や悩みは、世界規模でみればきっと大したことないんだろうと思う。これまで何とか生きてきているし、今も呑気にブログを書いている。そしてこれからも、おそらくそれなりにそこそこに生きていくんだろう。でも人の苦労や悩みというのは相対的なものにはなり得なくて、どこまでいっても絶対的なものである。そんな中で「救い」を与えてくれるのが「それでも世界が続くなら」であった。
初めてこの曲を聞いた時の衝撃は凄まじかった。「がんばれ」とは言わない。「まけるな」とは言わない。しかし、確かにそこには「救い」があったのだ。
「それせか」は自分にとって日常食となっている。チョコやクッキーといった嗜好品はなくても生きていける。でも米や小麦がなくなったら僕らは本当の意味で生きていくことはできないと思う。自分にとって「それでも世界が続くなら」というバンドはそういうポジションをとっている。
そんな彼らも昨年の9月で活動を休止した。音楽の世界において活動休止は≒解散となっている。現在はボーカルの篠君が活動休止期間公演を行っている。それでも自分は期待をしてしまう。いつの日か彼らが再び楽曲を披露する時を。それでも世界は続いているのだから。
「特別の教科 道徳」の指導と評価の在り方 ~校内研修会から~
先日、自分の勤務校で道徳の教科化に向けての研修会が行われました。
アンチ道徳の自分ではありますが、やらねばならぬことはきちんとやっていきたいと考えていますので、考えの整理のためにも内容を簡単にまとめておきたいと思います。
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